2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧
日経の夕刊に近松の曽根崎心中上演の話が出ていた。美術家・杉本博司氏が手がけ、これまで割愛されてきた「観音廻り」を復活させるとのこと。実はすべて初耳だが、観音信仰というものがあったらしい。これを魂の救済に結びつけたという説だ。「曽根崎心中」…
前回、クライフの追求したことは、サッカーにおける「公共善」と書いた。 http://d.hatena.ne.jp/goalhunter/201101091974年のワールドカップ西ドイツ大会での勝利者は開催国の西ドイツであったが、その後に語り継がれたのは、彼が言うように、トータルサッ…
正月の「WOWOW」でワールドカップ南アフリカ大会監督・岡田武史氏とヨハン・クライフ氏との会談が放映された。岡田氏がクライフ氏から何かを聞き出そうという企画のようにみえた。クライフ氏の話したことは、これまでの彼の語録と全く同じと言ってよい…
大学紛争から一市民として市民活動へ、続いて革新無所属から民主党結成へ、そして政権奪取から首相へ、これが管直人氏の政治的軌跡である。これは“奇跡”ではないにしても極めて珍しいことだ。 最近の、鳩山、麻生、福田、安倍と首相経験者の子孫が続けて首相…
小学生の頃は野球少年であった。 当時、高校野球の甲子園代表を決める東京都大会は、その大詰めの準決勝、決勝を神宮球場で行っていた。確か3年生の時、初めて父親に連れられ、王選手が早実の投手としてマウンドに立っていたことを覚えている。5年生の時も…
小学生時代。当時はサッカーなど知るよしもなく、野球に明け暮れる毎日であった。小学校へ上がる以前からゴムボール、三角ベースの草野球に慣れ親しみ、ラジオでプロ野球の実況中継を聞き、新聞のスポーツ欄をみて巨人の成績に一喜一憂していた。そういうわ…