近松の心中表現と漱石の作品

日経の夕刊に近松曽根崎心中上演の話が出ていた。美術家・杉本博司氏が手がけ、これまで割愛されてきた「観音廻り」を復活させるとのこと。

実はすべて初耳だが、観音信仰というものがあったらしい。これを魂の救済に結びつけたという説だ。

曽根崎心中」は心中の形つくりは純化されて鋭い、しかし、話の展開は純愛的で稚拙である。
一方、「心中天の網島」は人間関係のあやの中に登場人物が配置され、最後まで世間を引きずって心中にたどり着く。心中そのものは丸まっている。

曽根崎心中」に信仰が結びつくのは、なるほど、と思った。

この「曽根崎心中」と「心中天の網島」との対比は、漱石「それから」「門」「こころ」の代助、宗助、先生の尖った行動と「道草」の主人公の行動、世間から逃れることのできない立場への自覚、となんとなく対比させる考えを思いつかせてくれた。

特に意味があろ比較なのか、よくわからないが。