クライフの「公共善」とソシオ・バルサ

前回、クライフの追求したことは、サッカーにおける「公共善」と書いた。
http://d.hatena.ne.jp/goalhunter/20110109

1974年のワールドカップ西ドイツ大会での勝利者は開催国の西ドイツであったが、その後に語り継がれたのは、彼が言うように、トータルサッカーを具現したオランダであった。

そのサッカーが一過性のものではなく、「公共善」として認知される程度に定着するのは、FCバルセロナとの結びつきをもってである。

バルサは一般市民などからの会員を募り、その会費でチームを運営している『ソシオ』であり、会員は現在世界中で14万に達している。
そのスローガンは「クラブ以上の存在」、そのアイデンティティは「攻撃的でスペクタクルなフットボール」である。この攻撃的なサッカーはスペイン全体の特徴であり、バルサはその中核に位置している。

カンテラ」と呼ばれる年代別下部組織も非常に発達し、現チームの選手も多くはここからトップへ入っている。シャビ、イニエスタ、メッシ、ペデロ…このカンテラ出身選手は地元の生え抜きとして声援を受ける。

FCバルセロナ 1899年創設 世界でも屈指のビッグ サッカークラブ
http://ja.wikipedia.org/wiki/FC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%8A#.E9.81.8B.E5.96.B6.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6

しかも、バルセロナ市そのものが「カタルーニャ語復興運動」の中心地であり、日常生活においても用いられることにみられるように、その独自性を主張するとともに文化的魅力と雰囲気を有するスペイン第2の都市であることが重要である。

このようなバルセロナ市を基盤として、ソシオ・バルサのクラブ運営、少年時代からの育成、そして攻撃を楽しむ雰囲気、この全体的な環境のなかで、クライフの「トータルサッカー」が組み込まれ、バルサのサッカーとして表現されるまでに、育て上げられたのだ。それに呼応してクライフのサッカー思想も「公共善」のイメージを表現できるようにまでに成熟してきた。

「公共善」とは抽象的である。単に言葉で言っているだけでは多くの人に伝わらない。しかし、それが具現化されることによって、思想として共有される。

 40年をかけてオランダから始まりスペインで開花した「公共善」としてのサッカーをどう評価し、どのように活用するのか、それはサッカーに関心をもつ個々人にゆだねられている。

 日本ではどうだろうか。