松田選手考(4)〜カズ選手の見方

日経新聞のスポーツ版にカズ選手が『サッカー人として』を定期的に寄稿している。「マツが残した ぎらつき」(8/12)では、松田選手について興味深い挿話を展開している。

『「いいFW?たいしたことねえよ」と思える余裕があるから、外国人FWとも駆け引きができる。対戦相手を小馬鹿にできる、というのかね』。
駆け引きができるところまでは、井原選手、秋田選手からツーリオ選手に至るまで同じであろう。しかし、彼らのプレーについておそらくカズ選手は「対戦相手を小馬鹿にできる」とは感じなかったのではないか。
この認識のなかに、優れた資質を有する松田選手の危うさを垣間見る思いがする。ただ、ここに人を魅了する何かが含まれていることも確かであり、それが夭折と共鳴することでロマンティックな感想がメディアに溢れていることも周知のことだ。

カズ選手自身は『若いときはみんなそう。マツほど強気にはなれませんでしたけど、似たような心情なら、ぼくもあったものね。』と述べている。「みんなそう」いうところに、「みんなも〜もってるよ」と客観性をもたせて親の心を動かそうとする子供の工夫を感じさせないでもない。しかし、それは単なる枕言葉で、核心は続く「でも人は年を重ねていくとだんだん分かってくる。…みんながいるから僕もプレーができるんだな…」の部分である。これは控え目ながら自身を評価しての表現になっている。

では、松田選手をどう評価するのか。「…プロというものは、丸くなるだけじゃいけないんだ。…」これ「マツが残した ぎらつき」である。
ここに成熟の意味を体得したカズ選手による、松田選手へのアンビバレントな感情が抑え目に表現されている。「みんながいるから」と「丸くならない」という平凡な言葉の組み合わせに尽きているのかもしれない。

     

松田選手考(3)〜成熟への道とは? 秋田選手とカズ選手

日本代表のディフェンス陣のなかでも、攻撃的センスをもち、ポストプレーも可能なスタイルを持つ。全盛期のマリノス時代、公判で得点は欲しいときの攻撃参加をみていると、FWでも十分にプレーできることがよくわかる。

しかし、ディフェンスの攻撃能力として鮮やかに示されるのは、イタリアのバレージ選手のように、深い読みで相手のパスをカットし、守備から攻撃への転機を作ることがである。
更にトップの選手へのフィードの正確さが求められる。オランダのフランク・デブール選手のように。

これに比べると、ディフェンスの攻撃参加はもろばの刃でもある。特に前へ出て反撃覚悟で戻らずにいる場合である。ツーリオ選手のように不思議なほど得点を入れる選手もいるが、得点はレアケースであり、結果としてチーム戦術は成功しない場合が圧倒的に多い。

それでも、松田選手が攻撃参加をするときは、多くのチャンスを作り、生き生きとして、攻撃能力の高さをみせる。そして、やっぱり、FWで攻撃がしたいのだなぁ〜と…見える。ディフェンスのプレーも余裕があり、それゆえの慎重さを欠いたプレーもみられた。

ディフェンスは守備の能力である。体力的全盛期を過ぎていけば、当然、それを補う知力を身につける必要がある。更に大切なのは、精神的なことも含めてチーム全体の柱になることだ。ここに成熟のきっかけがある。

鹿島の秋田選手を松田選手と比較すれば、サッカーの資質は松田選手が高いことは明らかだ。しかし、秋田選手はディフェンスとして自らを磨いていった。そして、チームの中心として優勝に貢献した。今では、S級コーチライセンスを取得してJリーグの指導者としての位置にある。おそらく、自らの特長と限界を認めた時期が彼にあったはず、そこが見た目には判らない転換期であったのだろう。

カズ選手は現役最年長を更新している。生涯現役、それはカズ選手そのものを現していると多くのファンが思っているだろう。このセルフイメージとパブリックイメージとの一致がベテラン選手としての成熟の証左である。
おそらく、W−Cup・フランス大会予選の最後に交代したときから日本代表を外されたあとまであたりが、彼の転換期であっただろう。それを見事に乗り切って、新しい選手像を、この老年層の増大期に合わせて、築きあげた。

『成熟と喪失』のなかで江藤淳は、「成熟とは喪失を確認すること」と述べた。寿命の短いサッカー選手にとって喪失を確認する時期は年若くして来る。如何に対応するのか、それはその選手の内側も含めてこれまでの人生を象徴することになる。しかし、それはサッカーを越えているが故に、その人にとってのオリジナルな人生を切り開くことになる。サッカーを続けたとしてもである。

松田選手はその契機を掴むことができずに世を去った。教訓を引き継ぎながら冥福を祈るほかはない。

松田選手考(2)成熟への道を歩めずに身を滅ぼす

昨日、健康管理の問題を述べた。これはテンツバであって、直ちに筆者自らを含めてサッカー選手を辞任するすべての人に問題として跳ね返ってくる。健康管理の問題は体だけではなく、心身の問題であるからだ。

この視点から言えば、松田選手は人生航路のなかで、成熟の道へ舵を切ることができず、新たな自己像に到達できないうちに、身を滅ぼしたという印象を禁じえない。

しかし、それは我が身と同じではないと言い切れる人はそれほど多くはないであろう。

松田選手はいささか若い自分を持て余していた感があった。戦力外通告を受けてマリノスから去るとき、ファンに向けて、サッカーを続けたいことを大声で訴えていた。自らに与えられた客観的な評価に耐えることができず、単に自らだけが維持するこれまでの自己像にしがみついていた感があった。

その意味でJFLへの移籍は、あてどもない自分探しの旅でもあったかもしれない。

松田選手考(1)サッカー選手の健康管理

今年、横浜マリノスから戦力外通知を受け、JFLのチームに移籍していた松田選手が練習中に倒れ、その後、死亡した。急死である。

筆者の少年サッカーコーチの仲間で、50歳過ぎで急死した方がふたりいる。二人ともにサッカー指導の後の会合の席でのことであった。ひとりは小学校の教員の方、長年にわたってサッカーの指導をされていた。もうひとかたは、日本リーグの出場経験もある技量の持ち主である。想い起して、改めて冥福を祈る。

あるとき、親しくしている医者の方に、何故急死なのか、と尋ねたことがある。その時、本当の急死は考えにくい。おそらく体に何らかの予兆があったはずで、それを軽視すると危険だ、また、周囲を気にして我慢していることもある、少なくてもそのいずれかがあるのではないか、心臓疾患に気が付かなくて死亡した例も少なくないが、と答を聞いた。

予兆とは?それは感じた人にだけわかるもの、複合的疲労の蓄積あるいは不摂生の蓄積、プラスアルファの何か…。

そして更に、体力に自信のあった人、それは現在もある程度続いているとの過信につながり、認識と現実に実はギャップがある人になりがちだ。そんな答が続いた。

この最後の話は身につまされた。

少なくともサッカー選手を自認する人は、松田選手は自らの健康管理に失敗したと冷静に受け止めるべきなのだ。それが平凡ながら最大の教訓だ。

ビスマルクの言葉を借りれば「賢者は他人の経験に学ぶ」である。

しかし、マスメディアは相変わらずのロマンティックなストーリーのもとで、死と一連の儀式を取り上げている。それに釣られてか、何の検証もなく、死んだ故に、英雄視する人たちも現れている。

AEDの設置?
それよりも何よりも大切なのは「健康管理の自己責任」のはずである。それは健康診断だけでなく、飲みすぎ、食べ過ぎ、夜更かしのたぐいでもある。
     

抑止力とは効力を証明できない力

昨日は広島の「原爆の日」。新聞は式典について一斉に報道した。日経によれば、この1年間に死亡が確認された人数は5785人、合計の原爆死没者は27万人強である。当然、核兵器廃絶と世界恒久平和を平和宣言で訴えていた。

核兵器廃絶について、核兵器の抑止力の有無を問題にする場合がある。広島・長崎以降、核兵器が使われていないのはその“抑止効果”という説がある。その一方で、「核抑止」は神話と反論する人もいる。

しかし、“抑止力”とは証明できない力であって、核兵器が使われれば、その効果が完全ではなかったと取りあえずいえる。ただ、使われていない場合、単に使わないだけであるのか、抑止力が働いているのかその証明は論理的にはできない。逆に言えば、できないからこそ抑止力という言葉がある種の説得力を持つことになる。

権力欲と金銭欲〜河村名古屋市長と孫正義氏

「確かに、われわれは、ブルジョア的な快適の追求と、富への欲望の危険に対して軽蔑の念を「植えつけ」られているので、もしコミュニストが、富への欲望をもたず権力に対して欲望をもつようになると、たやすく一見、理想主義とそれをとりちがえがちである。おそらく、われわれは忌むべき金銭欲でも、禁欲的な権力欲とくらべたら、人類にとって、なだしも恐るるに足りないことを教えこまなければならない」(デービット・リースマン、『政治的人間』永井陽之助より)。

河村名古屋市長の“減税”は市民に対する金銭と権力の取引とも解釈できる。
また、孫正義氏が都道府県知事、政令指定都市市長をあつめて会を作ったのも金銭によって権力を買い取ろうとの試みとも読み取れる。
知事、市長のなかで、これを断ったのは熊谷千葉市長を始めとして僅かである。ここに本当の政治家を見る思いがする。