松田選手考(4)〜カズ選手の見方

日経新聞のスポーツ版にカズ選手が『サッカー人として』を定期的に寄稿している。「マツが残した ぎらつき」(8/12)では、松田選手について興味深い挿話を展開している。

『「いいFW?たいしたことねえよ」と思える余裕があるから、外国人FWとも駆け引きができる。対戦相手を小馬鹿にできる、というのかね』。
駆け引きができるところまでは、井原選手、秋田選手からツーリオ選手に至るまで同じであろう。しかし、彼らのプレーについておそらくカズ選手は「対戦相手を小馬鹿にできる」とは感じなかったのではないか。
この認識のなかに、優れた資質を有する松田選手の危うさを垣間見る思いがする。ただ、ここに人を魅了する何かが含まれていることも確かであり、それが夭折と共鳴することでロマンティックな感想がメディアに溢れていることも周知のことだ。

カズ選手自身は『若いときはみんなそう。マツほど強気にはなれませんでしたけど、似たような心情なら、ぼくもあったものね。』と述べている。「みんなそう」いうところに、「みんなも〜もってるよ」と客観性をもたせて親の心を動かそうとする子供の工夫を感じさせないでもない。しかし、それは単なる枕言葉で、核心は続く「でも人は年を重ねていくとだんだん分かってくる。…みんながいるから僕もプレーができるんだな…」の部分である。これは控え目ながら自身を評価しての表現になっている。

では、松田選手をどう評価するのか。「…プロというものは、丸くなるだけじゃいけないんだ。…」これ「マツが残した ぎらつき」である。
ここに成熟の意味を体得したカズ選手による、松田選手へのアンビバレントな感情が抑え目に表現されている。「みんながいるから」と「丸くならない」という平凡な言葉の組み合わせに尽きているのかもしれない。