「原爆の日」と「戦没者追悼の日」

原爆投下から64年。広島は6日、「原爆の日」を迎えた。秋葉市長は平和宣言で、「核兵器のない世界」を掲げるオバマ米大統領を支持、核廃絶について「イエス・ウイ・キャン」と言った。

原爆の日」は当然ながら原爆投下の日である。しかし、これが戦後平和思想の一つの核になっているが故に、「原爆の日」としてイベントが行なわれる。そして、この思想は核という巨大にして漠然とした“モノ”を廃絶することを目標にしているが、それが何をもたらすのか定かではない処に特徴がある。従って、視線は前を向いていながら漠然とうつろっている。

一方、「戦没者追悼の日」はこれも64年前から始まったのだろうか。形式的にはそうかもしれない。しかし、その視線は後を向いて「終戦記念日」に固着している。戦没者という尊く重い犠牲は「平和で豊かな今日の礎」とすることによって忘却から救おうとしている。その時の行動に価値をおいていないのである。何故なら太平洋戦争は「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えております」のであるから。従って、過去への視線もももてず、前を向くこともできず、うつろいながら「終戦記念日」に向かう。

結局、「悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかなければならない。世界の恒久平和の確立に向けて、積極的に貢献していく」と言う平和思想を共有することで、「原爆の日」と「戦没者追悼の日」は辛うじてバランスを保っているように思われる。