明治政府の作った歴史観・歴史解釈
明治以前の江戸幕府の時代は“野蛮未開”、明治時代からは“文明開化”の時代、という開明史観を明治政府は国民に植えつけていった。この開明史観については、政治学者・京極純一氏が指摘している(「日本社会と『憲法問題』感覚」(『思想』1962・6月号))。
それが、薩長連合政府としての正統性を確保する方法であった。但し、正統性というのは権威が不足している。万世一系の天皇家を担ぎ出すことで補った。
そうなれば、正統性に合わせた歴史解釈が必要になる。
江戸幕府が滅ぼした豊臣家の創始者・秀吉は英雄、織田信長は西欧との交流を導いた功労者になる。そうは言っても、徳川家康は江戸を作り上げた人物として格別な存在である。
また、江戸時代においても赤穂浪士は忠義を尽くした武士の鏡、8代将軍・吉宗は改革の祖、杉田玄白、高野長英は蘭学を導入した開明的存在、ということで歴史に記された。
室町時代は京都を戦乱に巻き込み、負の時代。文化財を除けば、エアポケットのように混乱だけが描かれている。足利尊氏は南朝に敵対し、北朝を傀儡にした反天皇家の人物になる。
ここで、南朝が貴重なのは、おそらく北畠親房『神皇正統記』が書かれているからだろう。読んではいないのだが、万世一系の天皇家が正統性をもって記述されていることを中学時代に社会科の授業で聞いたことを覚えている。
小学生の高学年に読んだ少年少女歴史物語全集は、ヤマトタケルノミコトに始まり、西郷隆盛で終わっていたが、どうも上記の歴史に沿って描かれていたようだ。
今思えば、物語にすることによって明治政府の作った歴史は完成したようだ。