ビンラディン氏のジハートと“絶対の敵”

 ビンラディン氏は、1979年の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻の際、アフガン側にゲリラとして参加し、旧ソ連を退却に追い込んだ立役者のひとりである。
 このときの戦いは、侵攻に抵抗する土着の住民を支援するイスラム教徒としての聖戦(ジハート)であった。目の前にいる旧ソ連軍が“現実の敵”であった。

 郷土への侵略に対する抵抗軍としての“ゲリラ活動”が、いかにして“国際テロ”として2001年9月11日のアメリカへの同時テロに至ったのか?その内在的な理由は何か。それは未だに解かれていないように思われる。

 池内恵・東大准教授はインタビューに答え、ビンラディン氏をデッサンする。
 『ビンラディンは“タレント政治家”だった』(日経BPオンライン 2011/5/12)
 「…政治指導者として支持されていたとも、宗教指導者として尊敬されていたとも言えない。日本でいうタレント政治家のような枠に入る。…」
 「…一貫してサウジ王制を批判…アラビア半島のローカルな排外意識が、彼の反米思想の核心…異教徒に守られることでイスラム教徒の名誉が傷つくという、プライドの問題に焦点を当てた。」
 「…この感情に訴える批判の分かりやすさが、思想に基づき体系的に欧米の支配を批判した従来のイスラム指導者と、決定的に異なるところで、その大衆受けするカッコ良さが、若者の心をつかんだ。…」

 いわゆるタレント候補にとって、ビンラディン氏と同じ枠に入れられるのは、迷惑このうえないことであろう。芸能活動等で活躍し、政治へと転身したタレント候補と、ゲリラ戦を戦い、戦闘勢力を拡大しようと企画したビンラディン氏の活動とは比較しようもないはずだ。
 「感情に訴える批判の分かりやすさ」は、特にタレント候補のオハコではあるまい。その辺りふつうの政治家も似たようなところはある。
 更に、「ローカルな排外意識が、彼の反米思想の核心」であれば、アフガンでのゲリラのように、アメリカを“現実の敵”としてサウジという土地から追い出せば良いので、“国際テロ”までは行きつかない。タレント候補論ではビンラディン氏の核心は理解できないのではないだろうか。

 そこで問題はジハートとビンラディン氏の行動との関連になる。
 先に述べたように、彼はサウジを越えてアフガンに赴き、その地のイスラム教徒と共に、ジハートとして旧ソ連軍と戦った。アル・カーイダを結成したのは、1989年2月の旧ソ連軍の敗退の少し前らしい。このころからビンラディン氏は反米活動に転じている。1991年の「湾岸戦争」では、サウジに駐留するアメリカ軍に「不信心者の軍はムハンマドの地を去れ」と言った。しかし、これは「反ソ」が「反米」へ転換したという問題ではない。

 すなわち、旧ソ連軍は軍事的な“現実の敵”であっても、アメリカ軍はサウジの味方のはずである。これを敵にするには、それ以上の憎悪に値する“絶対の敵”とする以外にない。これによって、外からの侵略に対抗するジハートから、異教徒に対抗するジハートへと、ジハートそのものが質的に変貌した。いや、ビンラディン氏にとって、これこそが真のジハートだと感じたのであろう。

 ここでアメリカとサウジとの関係は何かと似ていることに気が付く。日米安保条約下でのアメリカと日本との関係である。ビンラディン氏とアルカーイダは、さしずめ、反ベーテイ(米帝)を掲げ、大学紛争も含めてゲバルト闘争を行ってきた「新左翼の指導者」が相当するであろう。その帰結は、赤軍派による幾多のテロ事件に示されていることは周知である。

 しかし、4機の飛行機をハイジャックし、うち2機がニューヨークの世界貿易センタービルに突入、約3千人を死に至らしめた2001/9/11の同時テロのすさまじさは、赤軍派のアナロジーをはるかに超える。

 ここで、アナロジーとは、その無差別的攻撃性である。殺傷しても余りある、宗教の敵、人民の敵…などの“絶対の敵”でない限り、自己の中で無差別的攻撃を正当化できるものではない。