再臨界の可能性はゼロではない
マスメディアの一斉報道によれば、
政府・東京電力統合対策室は22日、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長が菅首相に「再臨界の危険性がある」と進言したとの21日の発表を、以下に訂正した。
「首相から再臨界の可能性を問われ、再臨界の可能性はゼロではないとの趣旨の回答をした」
『可能性はゼロではない』とは、
1)日本人的表現
『可能性は非常に低いが、しかし、可能性が無いことは無い。』とのまだるっこしい表現。
2)英語的表現
しかし、『無いことは無い』とは二重否定である。英語の受験的理解によれば、強い肯定になる。すなわち、『可能性は大いにある』に近い表現。
3)官僚的表現
そうではなくても、『可能性はあるんだから勘案しておかなければいけない』との、いかようにも逃げられる表現。
日本のトップリーダーが国家の最大リスクに遭遇し、決断を迫られているときに使われた言葉である。
ここで状況として思い起こすのは、丸山真男氏「軍国支配者の精神形態」における、その優柔不断の態度の分析である。
また、言葉として思い起こすのは、
1)『黙殺する』
ポツダム宣言に対し、『黙殺する』と反応し、それが無視する(ignore)と訳され、原爆投下に導かれたという鈴木貫太郎首相の言葉。
2)『善処する』
沖縄返還でニクソン大統領の繊維問題の要請に対し、『善処する』と答え、「do my best」と受け取られた佐藤栄作首相の言葉。なお、「善処する」とは国会用語で「何もしない」ことである。
『可能性はゼロではない』とは、外国にどう訳されるのだろうか。