ビンラーディン氏の死ージハート対正義の根源〜永井政治学に学ぶ

報道によれば、
オバマ米大統領は1日夜(日本時間2日午後)、テレビで緊急演説し、2001年9月11日の米同時多発テロ事件の首謀者として手配していた国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者(54)を殺害し、遺体を収容したと発表した。
ビンラーディン容疑者はパキスタンイスラマバード郊外の住居に家族と滞在中だったという。』

米大統領は“正義”を達成と強調した。

一方、ビンラーディン氏は映像や音声テープを発表しては世界に“ジハード”(聖戦)を呼びかけていた。
氏は79年の旧ソ連のアフガン侵攻に反発し、ムジャヒディン(イスラム聖戦士)としてアフガン入り、その後、反米に転じ、「いかなる時も米国人とユダヤ人を殺害するのがイスラム教徒の義務」と宣言、9.11テロの実行犯を「真のイスラム教徒」とたたえた。

抽出されるのは米国の“正義”対イスラム過激派の“ジハード”である。その根源は何であり、私たち一般人はこの対決の結末からどんな教訓を導きだすのか?そこが大切だ。

米国の“正義”から思い起こすのは、米国の戦争=平和観にひそむ「正義の戦争」という思想である(『平和の代償』(永井陽之助著 中央公論社 P167)。
この中で永井氏はロバート・タッカー教授の『正義の戦争』(1960)を引用して、日本国憲法9条と禁酒法との思想的な類似性とその弱点を鋭く分析している。(続く)