序にかえてー追悼の辞〜永井政治学に学ぶ

 永井陽之助氏は“自己認識の政治学”を目指したひとりの学徒であった。既に2008年12月30日に亡くなられている。

 丸山真男氏を筆頭として、岡義達氏、京極純一氏、升味準之助氏らと共に戦後「政治学」を日本において構築した「東大学派」のひとりである。
 「巨星落ちる!」、改めてご冥福を祈る。

 氏が亡くなられたとのニュースに接したのは2年前、2009年8月22日である。氏の入った座談会が潮出版「講座 日本の将来 世界の中の日本」にあったと思ったからである。中味を思い出す必要にかられて、グーグルで名前を入れて検索したところ、2チャネルにぶつかった。

 どんなことが書かれているのだろうと思って「最新」を覗いてみたら、何と
『<訃報>永井陽之助さん84歳=国際政治学者、冷戦を研究
3月18日2時32分配信 毎日新聞
 現実主義の論客として活躍した国際政治学者で東京工業大青山学院大名誉教授の永井陽之助(ながい・ようのすけ)さんが昨年12月30日に亡くなっていたことが分かった。84歳だった。』
 ハッとして「毎日新聞2009年3月18日」を確かめようと検索したがぶつからず、他紙も検索したところ、「朝日新聞2009年3月17日」に記事が残っていた。
国際政治学者の永井陽之助さん死去 現実主義の論客』
 「フッー、本当だったんだ」と納得せざるを得なかった。

 以前にも2チャンネルを覗いたことがあり、具合が悪いように書いてあったので残念に思っていた。それにしても思い立って検索し、それも少し寄り道したから知ったのである。グーグルから2チャンネルへ、そこで知った情報とはいかにも現代的である。授業を受けていた学生であって、特に親しくして頂いたわけではないので、知ったのも幸運と思わなければいけないのであろうが。

 筆者は「団塊の世代=大学紛争の世代」の人間であり、1967年4月、東工大に入学した。当時の東工大は、今も同じだと思うが、MITを真似たとする一般教養を重視する体制をとっていた。入学時、人文・社会科学系の教官が総出で「総合講義第一」を分担する。これを40名程度のクラス分けと重ねておこなうので、必然的に全員必修になる。
 心理学・宮城音弥氏、
 教育社会学・永井道雄氏、
 文化人類学川喜田二郎氏らと共に、
 政治学者・永井陽之助氏も著名な人文・社会科学系教授のひとりであった。
 それは三島由紀夫氏の感性にショックを与えたと言われている『平和の代償』(中央公論社)をひっさげて、『現実主義者の平和論』の高坂正堯氏(京大)と共に国際政治における現実主義者の論客として名乗りをあげた後だったからだ。

 通常の理工系と同じように一般教養科目を取る仕組も、もちろん1年生からあった。筆者は2年生のときに「政治学」をとった。試験は無く、単位は「政治について」(D.リースマン著 みすず書房)に関するレポートだったと思う。この年度末からいよいよ東工大も大学紛争へ突入、3年生前期(1970年9月)まで授業は無かったはずである。
 ちなみに、学内で現代問題研究会を主宰していた管直人氏(現内閣総理大臣)は、この東工大紛争の過程で一般学生を糾合して「全学改革推進会議」を立上げた。全学集会で並み居る闘争派学生に対し、真っ向から論陣を張って立ち向かい、「バリケード撤去」の可決に成功した。気力と勇気に秀でて弁舌も立ち、大学紛争が生んだ市民派政治家の出発点であった。

 さて、東工大紛争が終わって授業が再開され、3年生として「総合講義第二」という題目で少人数(10名程度)のゼミ形式授業があり、永井教授の授業をとった。単位の面からは他の通常の講義をとれば問題ない。この講義は特に関心をもつ学生に門戸を開放する試みであろう。
 4年生でも続けて出席した。どちらの学年で単位をとったのか覚えていないが。このゼミ形式授業で「永井政治学」に親しみ、多くの話を聴くことができた。また、セミナーハウスでの合宿などで議論もできた。ここで学んだことが、政治をみる眼の“起点”になっている。

 3年生では「In Defense of Politics」(Bernard Click)
 4年生では「Reflection on Violence」(Hannah Arendt)
 をテキストとして使ったが、その内容よりは雑談のほうが圧倒的に面白く、いまでも覚えていることが多い。そんなもんだと思う。
 特に4年生では社会人、慶大・神谷不二研究室の学生などもきていて数名は外部からの贋学生であったと思う。現在は大学間交流、社会人入学などでこれも制度化されているが当時は珍しかったかもしれない。専門家の卵に自らの研究をバックグランドとした話を展開されると、チョットそこまではと思いつつ聞き役に回ってしまうのが、工学部学生の「趣味の限界」か、とも感じた。

 さて、永井氏は毎日、朝日共に国際政治学者として扱われている。そして「現実主義の論客」とも書かれている。これは間違いないし、確か国際政治学会会長も務められていたはずだから当然ともいえる。
 しかし、永井政治学の神髄はそこではない。いや、そこも神髄ではあるのだが、本当の神髄は“政治意識論をベースにした政治理論”にあるのだ。これが永井政治学について筆者がこれから書こうとする強い動機である。
 それは有斐閣による現代社会科学入門シリーズの『現代政治学入門』に関し、篠原一氏と共に編者になっており、更にその「第1章・政治学とは何か、第2章・政治意識」を執筆していることから判る。なお、手元にあるのは昭和40年初版発行、しかし、数年前に改訂版が出されており、若干、変わっているかもしれない。

 筆者が大学に入学して初めて買った本、それは大学本館地下の生協書店で平積みにされていた「学問と読書・現代科学入門」」(大河内一男編・東大出版会)である。東大総長として卒業式で「…太った豚より痩せたソクラテスになれ…」と訓辞したと新聞に出ていたので大河内氏の名前を覚えていた。後になって何かの本に、実際は新聞記者に渡して原稿にはあったが、実際は話さなかった、とのことが書かれていたが…。
 大学で学ぶ学問とは何だろうか、との新入生の疑問に答え、学問分野ごとに自然・人文社会科学全般にわたって専門家によって書かれた本である。そのとき印象にのこったのが、自然科学系では「実験方法」について書かれたもの、社会科学系では、冒頭、ヘンリー・ミラー「北回帰線」からわけのわからない原文を引用していた永井陽之助氏『政治状況の認識』であった。
 そのなかに以下の文章があり、「政治学」が他の学問と全く違う知的努力を求めている「学」だと思ってしまった。ここが一つの分かれ目だった…。

 『われわれが深い自己観察の能力と誠実さを失わない人であればあるほど、自己の内面に無意識的に蓄積、滲透している“時代風潮”とか、“イデオロギー”や“偏見”の拘束を見出さざるを得ないであろう。その固定観念からの自己解放の知的努力の軌跡こそが政治学的認識そのものといっていいだろう。』
 これが“自己認識の政治学”である。
                         以上