W杯での審判の対照性〜ゲームコントロールと大誤審の関係〜

 筆者も少年サッカーのコーチで何百回も審判をしている。誤審は数知れず…ある。であるから、迂闊に審判を批判できないという感覚が身に付いている。
 これは感覚的な仮説で、分析はできなていないが、今回のW杯で、「見事に試合をコントロール」と「例の大誤審」の対照性を感じる。

 荒れた試合にならないように、シミュレーションも含めて接触プレーに神経を使い、レッド、イエローの出し方は安定している。その分、オフサイド、ゴールに対する瞬間的な注意が遅れているのでは、と思う。それが顕著になったのが「例の大誤審」。空振りの仮説にも思えるが。

 FIFAから審判団への通達もファールに対する共通性、公平性にえらく気を遣っているように感じる。審判も人の子ですから、すべてのことに注意を払うことはできないし、瞬間的な意識の切替も難しいこと。上部の指示に注意が集中するのも致し方ない。

 そもそもオフサイドは論理的に不可能なことを要求している。ボールが出される瞬間にオフサイドラインを見る。右目と左目を使い分ける?これがpposibleではないがprobableであったのはオフサイドはFWの事故という考え方からである。

 しかし、オフサイドルールを意図的に利用して得点を狙う革命的戦略(審判からみて)が登場、情勢が一変した。審判に対する選手のボルシェビキ革命と言える。