短書評『仕事とセックスのあいだ』玄田有史、斉藤珠里(朝日新書)

 昨日の少子化問題を理解するためのアプローチとして読んでみた。

 ふたりの著者が交互に書く形式をとっている。玄田有史氏は同じような形式ですでに『ニート』を出している。また、それ以前に『仕事のなかの曖昧な不安』で賞を得ている労働経済学者、といってもその枠を飛び出しており、それが故に著名でもある人物である。

 一方、斉藤珠里氏は、筆者にとって初めて聞く名前であるが、アエラ編集部で記者を務めて、セックスに関する記事を書いており、現在はパリ大学で研究中。従って、玄田氏の論考に注目しそうであるが、どっこいそうではなく、斉藤氏の論考に面白さを感じる。

 その中で、フランスと日本を、先ずは“回数”から比較した「第2章 世界一セクシーな国の女性労働者」がこの本のすべてを書いている。あとの部分は、ここからすべて容易に納得出来る内容である。

 斉藤氏は“回数”だけでなく、女性の意識が両国で異なる点に着目し、欠陥があっても仕方がないとそのままに(水に流して)してしまう「日本」と、改善努力をする「フランス」をカルチュアの違いとして対比する。昨日のブログで筆者は、少子化問題そのものも、「克服の意思・フランス」、「なるようになる・日本」とのカルチュアの違いを仮説として立ててみた。この仮説も同じような問題意識である。

 更に、カルチュアの基盤として、フランス人の多くが、パートナーの定義として、「知的レベル、正確、そして性的にも相性がいい人」といっていることを挙げ、性愛文化を支える日常的な社交の存在、例えば夫婦揃っての交際(パーティもそうであろう)、の意味を興味深い挿話と共に述べている。それによって、セックスは、男女のコミュニケーションの延長線上、と理解できるのである。

 そうであるが故に、セックスは「国家の一大事」となり、国家施策が展開されることが重要であるとの理屈が通ることになる。その例として「骨盤底リハビリ」と「週35時間労働」が挙げられる。前者は、「骨盤底」そのものが初耳という男性も多いであろう。これを例にとったあたりが斉藤氏の芸の深さである。


 ここで筆者の感想を述べる。人間にとって原始的世界である性(もう一つの原始的世界は暴力)を性愛文化に昇華することによって日常的な社交の中に位置づけ、一方で、種の生存を、間接的な国家政策を実行することを含めて継続化していくシステムを創りあげたフランスという国家に改めて舌を巻いた。

 日本では、セックスは「国家の一大事」と言うと、文化などはさらさら介在せず、残るは「産めよ、増やせよ」という直接的な表現(柳澤大臣の発言はそのバリエーション)となる。そしてセックスもまた広い意味での“真面目な仕事”になってしまうように思われる。現代日本は「セックスニート」を生み出しているとも言える。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html