歴史物語は個人を過度に描く〜司馬遼太郎・坂の上の雲
小学生時代は少年(少女)歴史物語全集が好きだった。『日本武尊』から始まり『西郷隆盛』で終わるのが日本の歴史であり、西南の役で西郷が死んだあとは“現代”に繋がる配置であった。
日本武尊と熊襲退治、
大化の改新と中大兄皇子、
遣唐使と安倍仲麻呂、
北征伐と八幡太郎義家、
弓矢と源為朝、平家物語と清盛・重盛、頼朝・義経・弁慶、
元寇と北条時宗、
鎌倉幕府滅亡と足利尊氏、
南北朝と楠正成、応仁の乱と戦国武将、
川中島の戦いと信玄・謙信、安土桃山と信長・秀吉、
関ヶ原・大坂の陣と家康、
忠臣蔵と大石良雄、享保の改革と吉宗、
解体新書と杉田玄白・高野長英・シーボルト、大塩平八郎の乱、
浦賀の大砲設置と佐久間象山、ペリー来航、
大政奉還と海援隊長・坂本竜馬、
江戸城開城と西郷隆盛。
全20巻程度だったか。
今でも覚えている作家は海音寺潮五郎。何を書いていたのかはとっくのとうに忘れているが、苗字が珍しかったので覚えているのだろう。作家以上に覚えたのが登場人物、特に勧善懲悪物語であるから両方ともに印象的である。
今にして思えば、物語は個人が傑出したとして描くことに決まっていたのだ。従って、どこまでいってもすべては個人の功績だけが強調される。しかし、問題は多くの人が人間を要求することだ。