脱原発政策は、宮崎繁三郎少将の撤退戦が必要

原発事故の対応は、『時間をめぐる決断の闘い』であり、ミッドウェイ海戦で、鋭い発想で即時の決断を進言し(受け入れられなかったが)、その後も戦艦・飛龍で反撃した山口多聞少将の判断力を必要とした。

しかし、脱原発政策は基本的に撤退戦である。それもエネルギー源のオプションがあり、経済政策も含めて考える必要がある。これには、インパール戦線も含めて不利な状況のなかで撤退戦を貫徹した宮崎繁三郎少将を必要とする。

宮崎繁三郎少将は、優れた采配と理性的な行動を示し、名将とされている。氏が仮に担当大臣であれば、おそらく、天然ガス、石油、石炭、地熱、太陽光、揚水などの方法をミックス&マッチさせた戦略を練るに違いない。
太陽光にこだわり政府から資金を出させ、何故か知らないが、結果として、一般大衆から金を出させることはしないであろう。

戦後、氏は自らの功績を吹聴するような行動を行わず、政治的・経済的な活動を慎み、小田急下北沢駅近くの商店街に『小売店』を経営、店主として清廉で穏やかな生涯を終えた(Wiki)