政治学者・永井陽之助氏を追悼する

 政治学者・永井陽之助氏が既に昨年の暮れに亡くなられていた。
 丸山真男氏を筆頭として、岡義達氏、京極純一氏、升味準之助氏らと共に戦後の「現代政治理論」を日本において構築されたひとりである。
 「巨星落ちる!」ご冥福を祈る。
 
 このニュースを知ったのは昨日2009年8月22日である。氏の入った座談会が潮出版の「講座 日本の将来 世界の中の日本」にあったと思ったからである。そこでグーグルで名前を入れて検索したところ、2チャネルにぶつかりどんなことが書かれているのだろうと思って「最新」を覗いてみたら、何と
『<訃報>永井陽之助さん84歳=国際政治学者、冷戦を研究
3月18日2時32分配信 毎日新聞
 現実主義の論客として活躍した国際政治学者で東京工業大青山学院大名誉教授の永井陽之助(ながい・ようのすけ)さんが昨年12月30日に亡くなっていたことが分かった。84歳だった。』

 ハッとして「毎日新聞」を確かめようと検索したがぶつからず、他紙も検索したところ、「朝日新聞」に記事が残っていた。

国際政治学者の永井陽之助さん死去 現実主義の論客
http://www.asahi.com/obituaries/update/0317/TKY200903170365.html 』

 「フッー、本当だったんだ」と納得せざるを得なかった。
以前にも2チャンネルを覗いたことがあり、具合が悪いように書いてあったので残念に思っていた。

 氏は毎日新聞にも朝日新聞にも国際政治学者として扱われている。そして「現実主義の論客」とも書かれている。これは間違いないし、確か国際政治学会会長も努められていたはずだから当然ともいえる。

 しかし、氏の神髄はそこではない。いや、そこも神髄ではあるのだが、本当の神髄は“政治意識論をベースにした政治理論”にあるのだ。

それは有斐閣による現代社会科学入門シリーズの『現代政治学入門』に関し、篠原一氏と共に編者になっており、更にその第1章・政治学とは何か、第2章・政治意識を執筆していることから判る。
 筆者が1967年4月、東工大に入学したときは、北大から移ってきたあとくらいであったろう。当時の東工大は、今も同じだと思うが、MITを真似たとする人文・社会科学の教養を重視する体制をとっていた。
 心理学・宮城音弥氏、教育社会学・永井道雄氏、文化人類学川喜田二郎氏らと共にいわゆる著名な教授のひとりであった。三島由紀夫の感性にショックを与えたと言われている『平和の代償』(中央公論社)をひっさげて、『現実主義者の平和論』の高坂正堯氏と共に国際政治における現実主義者の論客として名乗りをあげた後である。
 しかし、その著作の題名は「本書に一貫している議論の基調は、この世で美しいもの、価値あるものも、なんらかの代償なしには何ものも得られないという素朴な日常的な英知の再確認にほかならない。本書の題名を『平和の代償』としたゆえんである」と「あとがき」にも書かれているとおりである。
 氏は“政治的英知”を良く強調されておられた。それは将に“政治理論”の中核を構成するからだ。“政治理論”は単なる政治機構論、政治制度論ではない。人間論を基礎とした権力と社会を巡る体系である。
 そして、氏の学問上の立場は次に述べられているように、“自己認識の学”である。「他者啓蒙の学」ではない。当然ここで必要とされるのは単に知識だけではなく、“人間的英知”である。

 「われわれが深い自己観察の能力と誠実さを失わない人であればあるほど、自己の内面に無意識的に蓄積、滲透している“時代風潮”とか、“イデオロギー”や“偏見”の拘束を見出さざるを得ないであろう。その固定観念からの自己解放の知的努力の軌跡こそが政治学的認識そのものといっていいだろう。」
 (永井陽之助『政治状況の認識』)
 (「学問と読書・現代科学入門」所収 東京大学出版会