地方主導権が始まる

 「川崎市行財政改革・政策体系を視る眼」において『地域主導権』という言葉を使った。
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/pfr_1-1.html

http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/images/ron-fig/ron_kaikaku_siten1.pdf

 今後の自治体の国に対する戦略として、「アジャイルな活動により逆に国の改革を迫る『地域主導権』を確立する。」と述べた。地域主導権は地方主導権と言っても良い。


 ところで、『地方主導権』の動きが早くも現れた。
 地方自治体改革の実践にも携わった上山・慶大教授のブログに、
 「●改革派知事の新連合発足へ 以下は東京新聞。『改革派知事』ら新連合 分権推進へスクラム 超党派議員賛同募る」という記載があった。
 http://www.actiblog.com/ueyama/51249

 新聞によれば、「従来型の団体とは一線を画し、政党、霞が関を突き上げながら主体的な改革に取り組むことを目指す。」ということで将に“地方主導権”というコンセプトが出ている。中心は前三重県知事、現早大教授の北川正恭氏で、満を持してのタイミングのように思われる。図らずも筆者の考え方と一致している。


以下に、筆者の『地域主導権=地方主導権』の部分だけ掲載する。「改革の事例を地方から国への突きつけ、逆に国家機構の改革を迫ることである。」という考え方が、「政党、霞が関を突き上げながら」と思想的に一致する。

10.克服 〜アジャイルな活動による『地域主導権』〜

 『地方自治体の改革は三重県の北川知事を嚆矢としている。しかし、それ以前にも改革の試みはあったのではないか。今改めて、改革のアルケオロジーを試みてみることも必要のように感じる。即ち、そのような試みは小さい組織体の方がやりやすいからである。また、代表制などでトップに立ったリーダーがいると権力を集中しやすい面がある。』

 そこで考えるべきことは地方分権というよりも『地方主導権』である。改革の事例を地方から国への突きつけ、逆に国家機構の改革を迫ることである。神奈川県の松沢知事もアプローチしているが、更に小さい自治体が国へ多くの改革案を提言しても良いように思える。国は一つであるが、地方自治体は無数にあり、小回りがきいてアジャイルな活動ができるからである。これが『地方主導権』となって国全体を動かすことに繋げていけるのか。それが市民との連携からみた国への戦略である。

 この点から、自治体DNAの最大問題、“国の下で作業する気風”を意識改革できるのか、問われるのである。しかし、それはまた、我々市民にも降りかかってくる課題でもあるが。
 例えば、三セク、出資法人等も含めた連結決算が必要なことは予測可能であり、それを惰性と希望的観測によって当事者たちは引き延ばしてきた。その結果、国から財政健全化法を突きつけられている。地方自治体が多少荒くても連結状態を世間に晒し、その対策を堂々と議論し、国に要求すべきことをまとめていたならば、市民の支持を得られ、業務革新へ向けて主導権を握ることができたのかもしれない。現状は追いつめられた感覚で後手に回っている。

 サッカーにおいても守備において敵の攻撃について走るのは精神的にも疲れる。しかし、敵の動きを読んで走るとボールを奪って反撃に移ることが可能である。劣勢のチームはそのようにして速攻からの得点を狙う。狙いを持って業務革新を続けていけば、本当の“地方自治”を可能にするチャンスはこれからもある。
  以上