半分正しくて、半分間違っている 〜一昨日の続き〜
言葉の誤用の続きである。
http://d.hatena.ne.jp/goalhunter/20070816
(1)専門家は、
当業者の判る範囲内で言葉を定義して使えば良いのですが、それが広い世間に出た時にどのようなイメージで捉えられるか、考えずに使ってしまう。それがひどくなると、隠語的になって、全く世間と乖離しれしまう。
(2)世間はといえば、
わからないことを正確に理解しようとするよりは、早くイメージを与えて、気持の上で平衡を保ちたい。判らない不安に耐えられない。そうすると、核、原子の見えない世界は何とかイメージの与えられる言葉を選んで、専門家風に解説する。それが広まって何となく人心が安定する。
その(1)、(2)の狭間から顔を出した代表選手が“放射能”のように思える。
“放射能”とはアメーバのようにとらえどころがなく、どろどろとしたもの。いつも異常な強力ビームを発生して封じ込んでおかないと大変な被害を受ける。溢れ出たら大変、砂のように小さくても異常な強力ビームまきちらす。こんなイメージであろうか。
結局、グレーが存在する。
要するに、狭い科学の範囲内では、「半分正しくて、半分間違っている」。即ち、間違っている。しかし、「半分間違っている」部分は、実生活を営む上で、「判らない不安から逃れ、お互いにイメージをもつ」効果をもたらす。
イメージを共有することによって、お互いに安心できる効果はあるが、問題は、イメージであるが故に、幅広く動くことである。一方の極では、比較的科学的に正しいイメージがあるし、もう一方の極は、膨れあがってビームによってゴジラ、ラドンが誕生する。
従って、この問題は、揺れ動くイメージをことあるごとに、比較的科学的に正しいイメージへ誘導していくことで修正できると考える。
今回のような問題が起こると、イメージがふくらむ方向に議論が傾きがち。原発否定論者が、それみたことか、という反応を示しているように。こういうときこそ、被害者の心が落ち着く方向に説明し、余計な心配を取り除いて復旧に没頭できるようにするのが心使いというものである。了簡の狭い、それでいて良心家ぶっている連中はそれが商売であるから無視する以外ない。
この観点から、例えば、原発の専門家は、住民にたいして、狭い意味での正しい知識を沢山与えようとするのではなく、比較的科学的に正しいイメージが得られる判りやすい全体像を提供する、そのような考え方に立ったほうが長い目でみて有益だと思える。
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