日本サッカー、アジア4位  〜標準のプレー・球際のプレー〜

日本はアジアカップ3位決定戦で韓国に負けた。筆者はこの試合、韓国の監督が退席処分になったあとの15分程度見たが、面白くないのでやめた。新聞等の反応はいつもと同じであり、オシムに煙を巻かれて鋭い批判もできず、紋きり型にならざるを得ないようである。


ところが、今日の日経夕刊に海外のジャーナリスト評として「ワールドサッカー通信」(マーティン・ヘーゲレ)が載っていた。『欧州で精神力鍛えよ』と書かれた評では、高原がドイツで切り開いたストライカーとしての道を高く評価していた。即ち、「ドイツに渡った高原は苦闘しながら海外で成功するための技量を見つけている」。


本ブログで論じたことと同じ問題意識である。
http://d.hatena.ne.jp/goalhunter/200707023


それは屈強のDFと対峙しながらの“球際のプレー”である。韓国戦の日本は常に“標準のプレー”をしていたように思われる。それは無意識のリスク回避ともみられる。それで勝てるのであれば、別に「敵」ではなし、「試合」でもないのだ。


突破を狙って2人目、3人目の判断を乱す。サウジの3点目は中沢の判断を狂わしたもの。ギリギリのプレーで敵全体の動きを惑わす。ひとり潰れてふたりを引き出す。こういうプレーこそが“球際のプレー”である。


しかし、日本には見られなかった。10人の相手であるからボールを支配できる。結局、11人の“標準のプレー”に対し、10人は肝心な処でそれこそ守備での“球際のプレー”で対抗した。ここでは少しでもゆるんだら、少しでも顔を背けたら負けである。しかし、韓国は踏ん張った。


筆者には、“無意識のリスク回避”が気になる処である。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“川崎市の行政・議会”を議論
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html