政治的言語としての“ふるさと”考(4) 〜税とは何か〜

昨日、以下のように述べた。
義務である納税において、その一部の行き先を納税者の権利に変換し、一方、納税者としての行政への注文を「ふるさとを思う気持ちの表れ」である“寄附的感覚”によって遮断し、実質的にその権利を放棄させる。これが「ふるさと納税」のメカニズムである。


何故なら、
納税の義務と納税者としての権利は表裏一体であり、単に個人が決める問題ではない。何故ならば、税金の使い道は社会全体として決めるべき問題である、という単純な理由からだ。これをご都合主義によって放棄していけば、社会制度は解体の方向へ進んでいくであろう。それでなくとも、年金問題、NHK視聴料金、保育園・学校給食不払いなど、制度の融解を示すことに事欠かないのである。


所謂、ふるさと納税に反対する理由である。


なお、地方と都市との格差問題が仮にあったとして、その克服の優先順位は、


0)状況の整理・把握・分析
1) ビジョンの再構成
2)政策による転換
3)税(税制)に是正
4)当事者による判断


現状は、「群盲、象を撫でる」で状況認識も不十分のように思われる。


それと共に、社会としてのビジョンを形成し、その中で地方と都市との関係を再度議論する必要がある。地方分権だけが叫ばれているが、これを極端に推し進めれば、個人分権になって統合の契機が見あたらない。社会を統合するビジョンがあってこそ、分権も実るはずである。


経済の分野では、日本と東アジアとの分業スタイルが大企業を中心に進んであり、多国籍企業は、それだけでも国家の枠組を離れた社会を形成していると言って良い。そのことも視野に入れて国内における地方と都市との関係を考える必要がある。このとき、企業を含めた民間の意見を聞くと共に、民間への注文も明確にしておく必要がある。最近、企業誘致に対する補助金額の競争を自治体間で行い、何十億円のレベルになっているようであるが、首をかしげざるを得ない。


そうは言っても今日の明日のとはできないから、先ずは地方交付税で調整というこれまでやり方を取るしかないであろうが。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“川崎市の行政・議会”を議論
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html