政治的言語としての“ふるさと”考(2) 〜ふるさと税〜

昨日論じたように、
「ふるさと」とは、自分自身が直接に触れた処、家族、仲間、友達と共に過ごした処、イメージとして(美化されながらも)具体的に思い起こす処である。


上記の「ふるさと」を思考実験的に純粋に考えたとき、ふるさと税は存立するのであろうか?存立させたとして、どこに支払い、何に使う財源になるのであろうか。私は小学生以前であるが、先の5月、本会例会が行われた白金庭園美術館の直ぐ近くで暮らしていた。戦後の混乱期、一家揃って母親の親類宅にやっかいになっていたのである。今はその家もない。当時、目黒駅の山手線陸橋から下を通る貨物列車を見るのが好きであったから、その辺りまでは良く記憶に残っている。すべてが様変わりし、今でも残っている唯一の建物は閉鎖されている「都営バス営業所」だけである。


この辺りがふるさとであれば、私は品川区(目黒駅は品川区、ついでに、品川駅は港区)に納税する気になるであろうか。地域的という意味で東京都へ納税する気にはなれないことは勿論、品川区もほど遠い存在である。出来ることなら、「上大崎何丁目エリア」へ納税したくなる。

そして、もし納税出来たとしたとすれば、納税者として「都営バス営業所」を閉鎖せず、建物として残し、別の用途として使えるように、区、都と交渉し、上大崎何丁目エリア税もそれに使って欲しいと注文を付けるかもしれない。或いは付近の小中学校の修理・改修工事を進めて欲しいというかもしれない。ふるさと税であっても税である以上、納税者として正当な権利があることには間違いないはずである。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
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MM「探検!地方自治体へ」で“川崎市の行政・議会”を議論
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