政治的言語としての“ふるさと”考

最近、政治的課題で「ふるさと」を考えたのは、教育基本法改訂問題のときである。そして、ふるさと税である。
下記に改訂後の教育基本法でのその部分を抜き書いてみる。


法令データ提供システム 五十音索引検索 「き」 
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cgi
教育基本法 (平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)
第一章 教育の目的及び理念
第二条(教育の目的)
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。


何故、考えたのか?
「我が国」と「郷土」が並記されていることにすごく違和感を覚えたからである。


ここでそのとき考えた「国」「ふるさと」を思い起こした。
国とは人工的で自分自身と直接かかわらない存在であって、例えば、日本国は「徳川国」、「薩長国」、「疑似アメリカ国」と変遷してきたもの、と考えることも可能である。しかし、「ふるさと」は、そうはいかない。


丁度、文藝春秋7月号で山崎正和氏は教育を論じ、その中で、「文化・伝統と愛国心は無関係」であり、「文化・伝統に基づく愛郷心は、ときに愛国心と鋭く対立」すると述べている。そこでは、丸谷才一氏のエッセイが引かれ、第二次世界大戦中の金属供出の際、鶴岡に住むおばあさんが「長州の戦争に協力するな」と丸谷氏の両親に言ったというエピソードが記されている。


「ふるさと」とは、自分自身が直接に触れた処、家族、仲間、友達と共に過ごした処、イメージとして(美化されながらも)具体的に思い起こす処である。そうすると国と対極的に存在し、地方の概念からもほど遠い、町村もすべて含まれない程度で、主として小学生及びそれ以下の時代での行動半径内のエリアである。


であるならば、“国”と“郷土”は対極を表す言葉である。「我が国と郷土を愛する
という教育基本法の表現は成立しない。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“川崎市の行政・議会”を議論
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html