公共の精神とは損得を超える価値か〜安部総理国会答弁〜

国会答弁で安部総理は、「道徳や公共の精神といった損得を超える価値を身につけてもらえる教育を行いたい」と言ったそうである(小田嶋隆論座」 07年7月号 P171)。
なるほど、一見、教育再生会議に参加する御用有名人に対して尤もらしく聞こえ、今回の教育基本法改訂による文部省官僚の教育現場への介入を正当化するかのようである。
しかし、公共の精神は損得を超えていなければならないか?当人が得をすることが公共の福祉に役立つという動機は不純なのであろうか。


2007/6/15 “公の再生”に向けて
  http://d.hatena.ne.jp/goalhunter/20070615
2007/6/14 “公の再生”
  http://d.hatena.ne.jp/goalhunter/20070614


において、
「公が官に独占され、民は私に閉じこめられ、“私利私欲”の世界になる。…官制談合に象徴されるのは、官と民との互いの“私利私欲”による合意である。」と論じた。私利私欲の一方の極に“奉公滅私”がある。私利私欲の世界に対して、公的な世界へ誘導する方法は非合理的、非日常的な献身と犠牲を駆り立てる“奉公滅私”の強調しかないのである。


戦前の体制は将に“奉公滅私”を喚起する世界であったそうだ。金属不足に鍋釜の提供?一方で、買い溜め、買い漁りで庶民は抵抗したという(石油危機の時にトイレットペーパー不足になったことを思い出す)。戦後のモーレツ社員もまた、そのバリエーションであって、企業もまた、社員に対しては“官”となって臨むのである。
私的利益の合理化によって公とのパイプと通じるという近代的精神を身につけることが日本社会の成熟と安定に不可欠のように思われる。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“川崎市の行政・議会”を議論
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html