“公の再生”に向けて

一部のエリートだけでなく、我々のような“衆”のレベルまで“公”の再生に取りかかっていく時代、そう、“衆”が“公”になる。“公衆”の生成である!


公衆は19世紀的な概念である。公衆便所は公衆電話と共に消え去る運命にあると思われていた。
しかし、今や民衆が“公衆”として登場しなくてはならない。“民”が“私”に止まらず、“公”の世界に意識を伸ばし、“公衆”となっていく。
このことによって、“公”再生の基盤を打ち立てていく!


アプローチも決め手があるわけではないし、一義的に決められることでもない、というよりも多様であるべきである。


筆者自身は“衆”の一員として“共通感覚のPDCA” アプローチを考えている。

共通感覚とは誰でも持っている共通な、という意味ではなく、
諸感覚を統合する根源的な感覚という意味らしい…。
従って、ここで使っている“共通感覚”とはアナロジーである。
公的な活動に関連する“共通感覚”を意識的に働かせようと努力し、それを検証し、また使って鍛え上げていく。


PDCAサイクル(Plan-Do-Check-Action Cycle)も、経営の世界でははなじみが深いのでアナロジーとして使っている。


これによって“公”の世界の基盤を構築していく…。


それと共にトップ、ミドルが“正統”を追求する。
(G.K.チェスタトン「正統とは何か」(春秋社)昭48)。

ピーター・ミルワード氏はチェスタトンの言う正統とは、

「いわば荒れ狂って失踪する馬を御する人の平衡だったのだ。ある時はこちらに、ある時はあちらに、大きく身をこごめ、大きく身を揺らしているがごとく見えながら、実はその姿勢はことごとく、彫像にも似た優美さと、数学のも似た正確さを失わない」、

ことであると上記の本で説明している。



HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html