自然体は“自然”ではない〜日本語としての問題〜

「最近のサッカーをみていると「自然体で立つ」ことが視野を確保する上で重要になっていることが判る。デコ(バルサポルトガル代表)のプレーに示されるように、…」と07/04/19付の本ブログで書いた(『一瞬の創造〜現代サッカー論(1)〜』)。
 http://d.hatena.ne.jp/goalhunter/20070419

 
そのとき気になったのが、自然体は“自然” ではないということである。自然体とは、「放っておけば低い質の動きしかできない姿勢になるのを防ぎ、より質の高い動きができるように構える型である」と定義できそうである。


型というものは自然ではない、それをあたかも自然であるかのように習慣づけることによって得られるものである。姿勢において自然体というのは、形容矛盾であるようだが、それが日常的は基本的姿として表現したかったのだと推察する。


そこで“自然”という日本語が一般的に価値ある言葉として用いられていることだ。自然は人間と対立するものではなく、人間を優しく包み込むものとして捉えられている。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html