無作為抽出の政治的意義〜平均的な意見〜

 先日の統一地方選挙速報で、東京都知事選挙は開票が進まないうちに、石原氏の当確が報道された。出口調査の結果である。こんなのなら、出口調査で嘘を言う運動でも始めようか、と冗談を言った覚えがある。ところが今、グーグルを当たってみると、その手の運動が2チャンネルに書いてあるそうな。

 ともかく、無作為の確率論で平均的な投票行動がわかるのであるから、「無作為抽出の政治的意義」というものを考えてしまう。例えば、国民投票制度ができ、地方自治体にも住民投票制度を制定する動きもあり、そこで案件を投票にかける場合、どうしても事前の調査が注目を集める。出口調査ではないから正確性は劣るが、多数をとれなさそうな方は投票回避に動くかもしれない。その場合、投票にかけるか否かが争点になる。

 そうなると、重大な案件が、「無作為抽出の確率的世論」に支配されるという政治が展開される。当然議論によって投票行動を変える人もいるから機械的に決まるものではないが、何となく議論がなく、イメージだけで、それも世論調査によって意志決定がなされる。


 川崎市は地下鉄問題が住民投票にかけられるであろうが、どのようなデータと具体案が本当に議論されるのか、そこが肝心であろう。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html