ネットの世界で過熱する投資の話題〜無努力崇拝の一変形〜

 個人にとって貯蓄から投資へ、というのが最近のブームらしい。メルマガを発行している関係で他のメルマガを見る機会もあるが、こんなに個人投資のノウハウを謳い文句にしたメルマガやブログが多いものかと感心したし、寒心もした。けれど歓心を買おうという誘惑には関心が向かなかった。何故なら、それほど金を持っていないからだ。

 こう言ってしまえば話は簡単であるが、ある程度の蓄えを投資へ回してみてもそれに伴う情報収集が必要となる。特に仕事としているわけでもなさそうな方が、経済情勢に蘊蓄を傾けてブログで議論をしているのをちらっと見たりするのだが、よくもこれでけの情報を集めたものだと、これは本当に感心することがある。

 しかし、その情報収集にかける時間もまた大変なものではないかと考えてしまう。それだけの時間があれば、自分の活動としてもっとやりたいことに費やせるのでは?という疑問も沸いてくる。そうでもなく、適当に時間を使って出来るのだ、という謳い文句で誘うメルマガもあったが…。

 それはともかく、日本では貯蓄から投資へという傾向はこれからも続くであろう。特にアジアに目を向けての投資は多くなるはずである。しかし、だからと言って日本が抱えている人口減少問題の中で、投資によって個人の生活問題を解決することは一部の富裕層を除いて出来ない話だ。

 日本は技術立国でありものつくりで世界に対して優位にたつ。従って、アジアに一般化した技術を移転し、国内でハイテクを開発してそれを用いた生産技術に展開していく、という国内企業のこれまでのポリシーが日本を引っ張る基本動向である。


 個人としても、例えば団塊の世代はアジアに出て行き、技術指導の立場に立つチャンスであるし、また、国内の地域活動で若中年層をサポートすることも強く望まれている。


 そこで話題となるべきは、「アジア地区への移住の勧め」とか「地域活動の勧め」とかであって、「投資」の勧めではない。


 今の投資ブームは、面倒なことは一切機械とコンピュータで処理をしてくれる手のかからない快適な生活を続けるという“無努力崇拝”(デービッド・リースマン)の一変形のように思われる。

 こんなことだけで、充実した生が送れるわけがなく、本当の問題から逃走しているだけである。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html