無駄を省くことが独自政策の財源になるのか?

民主党マニフェストを改めて眺めてみると、15.3兆円の無駄を省き、基本政策の財源にすることになっている。これは、財源なしを批判されて急遽作りあげたと巷間言われているものである。


何かおかしい、と感じる。無駄を省くということが打出の小槌になっているからである。単なる無駄、即ち、純粋な無駄があるのだろうか。それも15.3兆円である。この無駄金はどこに消えているのか?公務員が使い込んでいるのか?官及び関連団体が余計なことに使っているのだろうか?


仮に無駄が0兆円だけ省けた場合、即ち、全然省けなかった場合はどうするのか?無駄使いをなくすということは、逆に言えば、なくすことができなかった場合、それは有用だということになる。これもおかしな議論になる。


政策議論をするのであるから、何をやらずに、何をやるのか、メリハリのつけた議論が必要である。