再録 国の神話化・個人の神話化

 以前に、アメリ原子力空母「ロナルド・レーガン」が日本に入港するニュースをみた。おっ、と思ったのはその名前である。そう言えば、「ケネディ国際空港」もあったっけ、と思いなおした。
 欧米では個人の名前を付けた建築が、その個人のメモリアルとして建てられている。その個人の名前を永遠に残しておこうというものだろう。言ってみれば、個人の神話化である。


 一方、日本では、そのような個人の名前を残すやり方は少ない。日本で永遠に残る名前が歴代の天皇である。明治以降は時代の象徴として亡くなった後にも年号が名前として残されている。従って、明治、大正、昭和と、年号即天皇の名前として日本中の人が知っていることは確かである。天皇家そのものが神話化作用を受けているのである。


 更に、天皇家の神話化が「国の神話」に結びついているのが日本の特徴である。網野善彦流に言えば、日本列島の社会全体が、日本国となり、それがあたかも太古の昔からそうであったように、「国の神話」によって擬制されている。ここでは、「社会」即「国家」であって、「社会」と「国家」が分離されていない。


 欧米では、おそらく、「社会」と「国家」が一致していて、それが「国の神話」によって維持されていることはないように思われる。



HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
 http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
 http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html