選挙のマニフェストは「商品契約」?「株取引」?

これはアナロジーである。マニフェストは「商品契約」に似ているのか?「株取引」に似ているのか?公約と違ってマニフェストは“契約”であって達成されるべきものだ、とはよく聞く言葉である。


その時の“契約”とは「商品契約」のイメージであろう。これだと対価を支払っているので、それに見合った商品が確実にゲットされることになる。マニフェストが達成できなければ、契約違反である。


政治行動とはそういうものだろうか?そうではない、不確実な未来にリスクを賭けることだ!


実は経済行動のなかにも同じような行動が存在する。預金とは預けることによって未来に賭けることであり、それ故、利子が付く。これがケインズ経済学の出発点でなかったのか(素人なので良くわからないが…)。「株取引」は更に、明確に未来への賭けを表現している。「株取引」において買い手は価格上昇を狙う。価格下落を公言して株を売りつけるバカはいないのであるからといって確実に上がるわけではない。保証のないリスクであることがその本質である。


翻って、公約からマニフェストへ変わったとしても、それで中味が保証されたわけではない。住民が投票するということは、不確実である政治家の政治行動にリスクを賭けることだ!無所属で立候補しても当選したあかつきには大政党へすぐい入ることなど日常茶飯事である。これが一寸先は闇である不確実な政治の世界であって、投票する方はその不確実性を自覚すべきなのだ。


それ故、検証可能性をできるだけ明らかにしている“マニフェスト”は“公約”よりも優れたツールとして働く可能性が大いにある。但し、住民として評価することによってのみ、その意味が明らかになるように思える。


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
 http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
 http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html