政治問題は解決か、克服か

長崎市長の殺害事件を知ったときふと思ったが、政治的問題(今回の事件は個人的理由のようだが)を解決しようとする発想で、それがデッドロックになるとにっちもさっちも行かなくなり、最終的解決を目指すようになる。

対応する人間を葬り去れば問題は無くなるとの発想である。

社会問題であれば金銭的解決があり得るし、政治問題を社会問題として金銭的解決(汚職の類)を図るのも一つの智恵と言える。少なくとも殺人を避けることからすれば。

従って、解決ではなく克服を目指すことが政治的課題にとって重要である。
ヒットラーの最終的解決という言葉は現在その不気味さをますます増しているかのようである。

HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html