杉並区のエゴによるゴミ戦争〜後遺症が未だに残る〜

杉並区の減税構想にニュースを読んでいて、かつての江東区と杉並区のごみ戦争を思い出した。

http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=214&bflg=1&serial=12776

73年の美濃部都政であった。

現在はすべて焼却炉で燃やしてから最終処分場の東京湾の埋め立て地へ運ばれている。当時は最終処分場が東京湾江東区夢の島であったが、焼却処理が十分に進んでいなかったため、家庭の生ごみの一部も含めて運ばれていた。


悪臭に加えて、はえ、ゴキブリ等の発生が江東区民にとって大きな問題であった。筆者は71年に江東区東砂の都営団地に引っ越したが、風向きによっては悪臭を感じるときもあって、六価クロームが検出されたという工場跡地が近くにあることも手伝ってか、変な処に引っ越してきたな、と感じることがあった。それでも大島の商店街は下町の雰囲気があふれて、都心とは別の活気あった。


その中で、ごみ焼却場(杉並清掃工場)建設に周辺住民が反対していた杉並区からのごみの受入れを、ごみの最終処分場(新夢の島)を有する江東区が拒否した。これが「第一次ゴミ戦争」と呼ばれるものであった。


すでに筆者は勤務先の寮へ引っ越していたが、このときの杉並区のエゴイズムに怒りを感じていた。これは行政対市民の問題ではなく、市民対市民の問題である。民主主義が本当に試される課題であった。


それ以来、筆者は杉並区を身勝手な施策をする自治体だと認識している。


ところで、その後遺症は焼却炉偏在という問題としてまだ残っている。
http://www.city.koto.lg.jp/ac/gikai/16953.html


HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
  http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/
MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市の行政・議会”を議論
http://www.h7.dion.ne.jp/~as-uw/melmaga_01.html