再掲・幻想の中の明大優勝

 幻影シリーズの最後は今日の日本サッカーの隆盛を築いたきっかけ、東京オリンピック時のプロサッカーの話題と当時の風景である。


 時は昭和39年、東京オリンピックで日本はアルゼンチンを3−2で破ってベスト8入りを果たし、その後の日本リーグ、サッカーブームの引き金となった年。しかし、それよりも驚いたことは、俊足FW、アルゼンチン戦の1点目を独走シュートで決めた杉山が20万ドルでアルゼンチンのプロチームに誘われたというニュースであった。


 確か、スポーツ新聞で読んだと思う。当時は固定レートで1ドルが360円の時代、えっ!7200万円!!…クラブを終えて学校からの帰り、駅外売店でサングルトとアンパンを、小遣いの残りを勘定しながらいつも買っていたけど、あれが幾らだったかな?何回分になるのか友達と話したことを覚えている。ちなみにサングルトとはオレンジヨーグルトドリンクとでも言おうか、下側が四角く全体は牛乳瓶ライクな瓶に入った飲み物で、売店のおばさんがキリで紙蓋をとってくれる。この風景わかる??


 閑話休題、その杉山を擁する明大、2点目となる川渕(現キャプテン)のヘディングシュートをアシストで演出した釜本、MF森の早大、決勝ゴールを決めた小城、FB山口の中大、保坂を追い抜いて日本の正GKとなった横山の立大、他に教育大、慶大等、ともかく6名のオリンピック選手を話題の中心にして秋の関東大学リーグ戦が行われた。別にどこの大学が優勝しても関係のない高校生の身であったが、ポジションが杉山と同じOL(アウトサイドレフト…通称ウィングであるが、当時の正式?ポジション名称)のため、自然と杉山が好きになり、当時は通常11であるべき背番号をオリンピックの杉山に合わせて確か17にしたと思う。


 結局、最後は勝ち点で早大を上回り、明大の優勝!!それにしてもこれが初優勝で、それ以降、優勝がないとは、40年後に初めて知った!
 

HP「散歩から探検へ」に“川崎市政との対話”を掲載
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MM「探検!地方自治体へ」で“自治体・川崎市政”を議論
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